学生時代
朝6時からアルバイトで5時起き
学校
部活
夕方アルバイト
そこから
夜24時まで塾のアルバイト
そんな日々のお腹を支えてくれたのが
「山田うどん」
最初に勤務した学校のすぐ側にもあって
部活の合宿の朝食
練習前には
そこでご飯。
500円あれば
お腹がいっぱいになるのが
「山田うどん」
仙台に居た時は
半田食堂、、、名前、、、合っているかな。
目にすると
苦しかった時というか
青かった時を思い出します。
くそ〜
あんなクソな教員らより
自分の方が
絶対に授業上手い❗️
くそ
くそ
くそって思いながら、当時は悶々としていました。
ただ1つだけ言えるのは
その当時から
自分の将来を
周辺の音やその環境で醸し出す匂いまで
想像にも関わらず
ありありと描いていたこと。
悶々としていながら
自分がクラス担任持った時にすること
部活動の指導してやりたいこと
そして
授業でどんな場面で、どんなことをやって、生徒の反響によって
どう授業を展開するか。
しっかり
ありありとイメージして
メモっていました。
ノートにまとめていました。
当時使っていた
テキスト
原型をとどめず
10倍以上に膨れ上がって
ガムテープで補強した
見た目もあって
生徒からも同僚からも
名物テキストでした。
私の宝物と言ってもいいテキスト。
が
引越しの際に
当時、付き合っていた彼女に捨てられていた。
”汚いから”
がーーーーーーん。
もう思い出ですね。
ただ
それを持っていると
過去にしがみ付いている
成長の足枷(あしかせ)に
なることがあります。
過去を手本として
成長をしないといけない。
時流に合わせ成長しないといけない。
ただ
”不易と流行”の見極めが必要で
私にとっての不易は
生徒への
極限までの、ガチンコな人間的な関わり方。
これは
20歳の時と比べてどうなんだろうか。
「山田うどん」の横を通るたびに
当時の
生徒を回想しながら思いだすのです。
で
20代前半
高校講師時代の生徒と混じって写った写真。。。。
やっぱり
やることなすこと
懲戒免職レベルでしょってことだらけ。
文化祭に乱入して
ソーラン節を踊った後、、、騒乱節で、もちろん校長室に行き
管理職に説明を促されました。
まっ
良い思い出です。
が
この時に大きなことだけど
大きなことにならなかったのは
その荒れた、埼玉最底辺学校に着任して
1週間で授業の空きコマと放課後を使って
たった1人で
私1人で
膝より高い草がボーボーのグラウンドの草
立ち鎌1本で
全部、刈ったんです。
運動部0の底辺校で
部活動を通して
荒れていた学校を
部活動と
そして
高度資格取得を通して
立て直しを図ったんです。
その半端ない行動力が認められていたから
おおごとにならなかったんだと思います。
でも
これも私が
青臭い時から
ありありと描いたイメージしたことをやったまで。
教育的深い愛情も紙一重
しかし
高い専門性へのこだわりはこの時から。
同世代、誰よりも
こだわりまくっていた結果。
生徒に伝えたい❗️
ただし
ありありとイメージはせーよ💢
そして
イメージしたら
もがいてでも
成果を出すまで愚直に行動し続けろ❗️
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