詩人 茨木のり子の「感受性くらい」
私の心がざわついている時に
書斎にある
私が手書きした本詩を何度も読み込みます。

先日、一緒に仙台に行った親御さん。
夫婦して素敵な親御さんなのですが
栗駒山に面白いキノコ型した雲を見つけた私につられて
携帯を出して
その雲を撮ろうとした姿に対して
生徒は「へ〜っ」みたいな。

この場面、忘れられない場面でした。
私は
テストの成果だけを追い求めてSTUDY HOUSEを立ち上げたのでもなく
能開さんや、EISUさんに風穴を開けたくてSTUDY HOUSEを立ち上げたわけでもなく
ただ純粋に
秋田の子の
まだ生徒自身、自分自身も知らない可能性の扉を拓き
社会で活躍するためにSTUDY HOUSEを立ち上げた。

しかし
どこかでお金、数字を追うようになってしまって
それが
最近の疲れの最たるもの。

確かに
もう県内TOPの秋田高校には誰でも受からせられる。
従順なら。
そう
やっぱり感受性が豊かな生徒で、不退転の気持ち・決意の生徒ならば
私の指導も
STUDY HOUSEスタイルも浸透して、絶対的に合格を手にすることができる。

ただ
そうなったからこそ
成果を出せることになった今だからこそ。
ちょっと疲れたのです。

本当はもっと高校教員時代にやっていた探求型の学習をしたい。
答えのない問題に
主体的に自主的に、そして果敢に攻めていって、最終プレゼンまで持って行った高校生のあの姿。
忘れられない。
勉強面での数値、偏差値では表せられないものに力を注いでいたあの時。
懐かしい。
そして虚しい。

今は、合格するための”パターン”に生徒をはめ込んでいる自分がいる。
それが
最大に虚しいのだ。

ただ成果を出すためには致し方ないと。
ただね
当時の生徒は偏差値30台にも関わらず明治大学や亜細亜大学、駒澤大学に合格を決めていった。
何者でもない生徒が、何かのために学んだとき
もっと自分の価値を上げよう。そのための学力、基礎学力、入試なんだと思った時に
彼らは爆発的に集中して
それこそ
不退転の決意+人のために生きる強さを身に纏って
結果
成果を上げた。

だから
今、虚しさを感じる私がいる。

虚しさといえば、、、、
中3生が持ってきた社会科の解答。


誤字ありの模範解答。
私は持ってきた生徒に

「君が書いたの?」と聞くと

「いえ、教科担当の先生が書いたものです」と💦

問題の作り方、出し方、そしてこの誤字と汚い字での解答。
虚しくなりました。

教える側は給料のために授業をしているのではないことを
教育公務員として改めて
理解してもらいたい。
県民の負託に常に応えるために研究と修養に努めてもらいたい。

切に願う。

ということで
自分の感受性を整えたら
人様の様子を気にするようになった45歳です😎